フォーサイト・シールズモデルズは戦艦・船舶を中心に歴史上で活躍した日本・日本人にスポットをあて
日本の歴史・誇り・こだわりの重要性を後世に伝えることを目的とした会社です。
日露戦争旗艦戦艦三笠・南極観測船宗谷をはじめ歴史を飾った船を模型として伝えます。




2等巡洋艦松島   (2018/10/31)




先月台湾・馬公にて行われた日本海軍松島沈没110 年慰霊祭
鉛筆画家, 菅野泰紀氏により奉納された鉛筆画を画伯のご好意によりポストカードにしました。
台湾の人々の友情を一人でも多くの方に知って頂く為に商品化しました。




 平成最後の年となった平成30 年は、松島爆沈から110 年の節目の年でもある。戦後、台湾への正式な日本人慰霊団派遣は一度も行われてこなかったが、日本の有志により「巡洋艦松島爆沈110 年慰霊団」が組織・派遣された。
 
 9 月24 日、約70 名の日本人が「松島」が110 年前に没した海に臨む、台湾澎湖島蛇頭山の慰霊碑前に集った。
 慰霊祭は神式と仏式で執り行われ、神式の斎主は波上宮(沖縄)の大山晋吾禰宜が、仏式の導師は妙見宗河楠教会の小西正純住職が務めた。澎湖島特有の強烈な海風が吹き抜ける中、日台の参列者は皆、頭を下げ無念にも事故で亡くなった先人たち
への哀悼の誠を捧げたのである。
 慰霊祭の冒頭、碑の前に供えられた日本酒が倒れ、酒は碑に吸い込まれるように染み込んでいくのを参列者は目の当たりにした。その様子はとても印象深く、あたかも英霊たちが待ちきれず、酒を飲んだかのように思えた。
 事故から110 年そして日本人が慰霊祭に参列しなくなり70 余年―
 後に残った、割れて空になった一升瓶を見ていると、後世に生きる日本人の不義理をなじるようにも思えてしまった。
 
 私は、「巡洋艦松島爆沈110 年慰霊団」派遣に先立ち、団長の辻井氏より相談を受け、往年の「松島」を鉛筆画で描き、奉納する決心をした。今日に至るまで、日本人に代わり慰霊のために尽力してくれた台湾の方々へのせめてもの恩返しとなればと思ったからである。
 報恩謝徳― 
 これこそが、私が鉛筆艦船画を所縁の神社や施設に奉納・寄贈する意義の根幹である。
 慰霊祭が澎湖島で執り行われた日、龍山寺と温王殿においても乗組員の慰霊のために祈りが捧げられ、その中で絵画奉納を行う事が叶った。いずれの関係者も、参列した現地の方々も喜んで私の作品を受け入れてくれた。今回の絵画奉納が、松島爆沈事故の顕彰の一助となり、日本と台湾の強く長い絆の保持に繋がれば望外の喜びである。