フォーサイト・シールズモデルズは戦艦・船舶を中心に歴史上で活躍した日本・日本人にスポットをあて
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日露戦争旗艦戦艦三笠・南極観測船宗谷をはじめ歴史を飾った船を模型として伝えます。




日本海軍 警備艦 三笠   シェア
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 1920年三月、尼港=ニコライエフスク。日本陸軍石川正雅少佐以下水戸歩兵第2連隊第3大隊のおよそ300名、海軍石川光儀少佐、三宅駸吾少佐以下40数名の日本軍守備隊、領事館等60名がロシア人、シナ人、朝鮮人を中心とした革命軍(パルチザン) の襲撃を受け、厳寒の中で孤立し、人類史上稀に見る虐殺全滅した事件が発生した。
 1月パルチザンに包囲された尼港に対し2月13日、陸軍は北海道の第7師団(旭川)より増援部隊を編成する手続きをとる一方、海軍は、北樺太(北サハリン)のアレクサンドロフスクからも不穏な情報が入っていたことから、警備艦三笠と砕氷艦見島(旧ロシア海軍の海防戦艦「アドミラル・セニャーヴィン」)を視察に出したが、ニコラエフスクは厚氷に閉ざされて、艦船の近接、上陸は不可能だった。結局、陸軍の増援は延期された。両艦は五月、小樽港に入り陸軍部隊を護送し て、北樺太のアレキサンドロエフを占領、居留民を見島に収容してニコライエフスクに向かった。六月三日、救援隊は市街に到着し日本軍全滅の惨状を知る事となる。
 この軍事行動には第3艦隊の大部分が参加し舞鶴軍港からは砕氷艦見島、二等巡洋艦対馬、第三十一駆逐隊などが参観し、その中心勢力となった。尼港事件で全滅した海軍部隊は、大正七年舞鶴鎮守府内にて編成された無線電信隊で、下士官、兵は全て舞鶴鎮守府 に属していた。この惨劇は海軍関係者のみならず、一般住民をも悲しみと憤激の極に追いやった。
 改造によって砕氷艦となった見島、航空機を搭載した三笠を持ってしても、居留民救出に失敗した日本海軍は本格的な砕氷艦大泊建造に着手した 。戦後南極観測に用いられた宗谷の砕氷能力改造には大泊建造 技術が用いられた。
 尚、最新の砕氷艦であるAGB5003 しらせは2007(平成19)年 舞鶴にて建造された。
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