フォーサイト・シールズモデルズは戦艦・船舶を中心に歴史上で活躍した日本・日本人にスポットをあて
日本の歴史・誇り・こだわりの重要性を後世に伝えることを目的とした会社です。
日露戦争旗艦戦艦三笠・南極観測船宗谷をはじめ歴史を飾った船を模型として伝えます。




日本海軍一等巡洋艦 常磐  
1/500
30,800 円(税込)
 
1800 年代後半に日露関係が悪化の一途を辿ると同時期に南米大陸においてはアルゼンチン、ブラジル、チリの三国による覇権争いが発生していた。
この三国は海軍力増強のために建艦競争を始めたが、財政が成り立つはずもなく次第に下火となる一方すでに外国に建造を開始していた艦船建造の支払いに困ることとなった。最初にこれに目をつけたのがロシアであるが、造船会社は全て英国系であり、英国政府及び英国海軍の根回しによって日本海軍のものになった。イタリア・アンサンドル社に発注されていたアルゼンチンのモレノとリバタヴィアは日進、春日となり、英国アームストロング社にて起工されていたチリ海軍オイギンス級装甲巡洋艦2隻は浅間と常磐になった。
明治38年5月27日 日本海海戦において第二戦隊三番艦の配置についた常磐はバルチック艦隊戦艦の中唯一の3本煙突であるオスラービアに火砲を集中させ、これを撃沈した。
第一次大戦においては青島方面に出撃、戦間期に機雷施設艦への改装を受けた。第二次世界大戦中は初期に南方に出撃、後期は東シナ海を初めとして対馬海峡、宗谷海峡といった日本近海および台湾海峡、黄海での機雷敷設作業に従事する。終戦直前の大湊における空襲で被弾浸水、終戦を迎え、乗員が艦を去っていくことにより排水作業ができなくなることから、8月15日中に艦の保全のために葦崎東方海岸に擱座し、曳船の助けを得て投錨して艦を固定した。1947年(昭和22年)にかけて解体された。日露戦争時の旧式巡洋艦が敷設艦に改造されることは諸外国でもあったが、第二次世界大戦終結まで活用された例は、本艦のみである。
photo/shosai_20180712-003413.JPG