日本海軍通報艦 八重山

明治20年6月に横須賀造船所で本艦は我が国初の国産鉄製軍艦として起工された。フランス人造船官エミール・ベルダン指導の下計画、設計され前後シーアの強い上甲板ラインもフランス式が色濃いものであった。3年弱の建造期間で完成した本艦の新造公試では19ノットというまずまずの結果であった。明治35年根室港口で座礁した武蔵救援の為に派遣された本艦も座礁、艦底部損傷沈没状態となる。明治37年にかけて修理を完了し二本煙突となった。日露戦争において黄海海戦は第二艦隊、日本海海戦は第五戦隊に所属し参加した。明治44年4月1日除籍。