日本海軍三等巡洋艦 千代田

日本海軍初の装甲巡洋艦である千代田は畝傍失踪による保険金により英国グラスゴー・J&Gトムソン兄弟社において1888年1月に起工された。クルップ社製にて統一されていた兵装を英国アームストロング式へ切り替えた初の艦である。明治27(1894)年9月17日の日清戦争・黄海海戦においては旗艦松島に続く二番艦として参加した。明治31(1898)年呉工廠にてフランス製ベルビル水管式新管と交換しマスト形状も変更された。明治34(1904)年日露戦争開戦時、韓国仁川におり浅間と共に脱出し、2月9日仁川沖海戦にてロシア艦ワリヤーグ、コレーツと交戦、7月26日旅順港外において触雷したが日頃の訓練により沈没を免れ10月11日には修理を完了した。翌年の5月27日日本海海戦には第3艦隊第6戦隊に所属して参加し、ロシア巡洋艦特務艦部隊と交戦した。昭和2(1927)年豊後水道沖にて連合艦隊の実験艦として艦砲射撃及び爆撃により撃沈された。