日本海軍一等巡洋艦 八雲

1895年(明治28年)4月23日にフランス、ドイツ帝国、ロシア帝国の三国が日本に対して勧告を行った。 日本と清の間で結ばれた下関条約に基づき日本に割譲された遼東半島を清に返還することを求める内容だった。後の三国干渉と呼ばれるものである。三か国のうちロシアとの対決が避けられなくなり、後の2カ国との対立を避ける為の外交的配慮から英国に編重していた艦船発注を、戦艦はともかく補助艦艇である巡洋艦は他の国にも発注したほうが良いという意見もあり、この「八雲」はドイツ、フルカン造船所へ発注することになった。
1898年(明治33)に起工され 2 年後に竣工日本へ回航された。
日露戦争においては第二艦隊野所属し旅順港封鎖作戦、黄海海戦、日本海海戦に参加する。
練習艦として遠洋航海に携わった太平洋戦争勃発一年後に1等巡洋艦に再び類別された。さらに終戦の年 2 月には主砲撤去高角砲を設置された。6月呉より舞鶴に疎開し終戦を迎えた。10月に除籍後復員輸送活動に従事し21年任務解除。22年4月1日まで飯野産業舞鶴造船所にて解体処分された。